親から言われた印象的な言葉はありますか?
機能不全家庭で育ったアダルトチルドレンには、親から言われた忘れられない言葉の数々があると思います。
そして残念ながら、それらはあなたの心をえぐるようなつらい言葉でしょう。
何年も昔に言われた言葉なのに、今でもありありと思い出せるのではないでしょうか。
私も母から「呪いの言葉」とも言える、記憶に残る言葉を吐かれた経験があります。
どのような言葉だったのか。
そして呪いの言葉にどう打ち勝ったのか。
そんな体験談をお伝えしたいと思います。
19歳で家を出ることに
moekoの生い立ちについては、こちらをご覧ください。
このままでは自分の人生を母につぶされてしまうと感じた19歳の私は、一人で生きていく決断をして家を出ることにしました。
母に家を出ていくという話をしたときは、とても不服そうでしたが止められはしませんでした。
引っ越し先、引っ越し日、業者など着々と準備を進め、引っ越しの準備は整っていきました。
別れの日
迎えた引っ越し当日。
私の決して多くはない荷物が、小さな引っ越しトラックに積み込まれました。
トラックに最後に積み込まれたのは、引っ越し作業で出たゴミが数袋。
引っ越し日が燃えるゴミの日ではなかったため、
「なんであんたが出したゴミを私が捨てなきゃいけないの!」
と母にゴミ出しを拒否され、仕方なくゴミも一緒にお引越ししました。
とても悲しい思い出です。
そしてついに、トラックが出発の時を迎えます。
母の呪いの言葉
別れ際。
母は私に向き合い、こんな餞別の言葉を告げました。
「あんたはね。私がいなきゃダメなの。
だから家を出て思い知るがいい。
一人じゃ何もできないって。
幸せにはなれないって。」
これが私が母と交わした最後の言葉でした。
この日から今日まで、私は母と一度も連絡を取っていません。
一人暮らし、その後
こうして私は、わずかな荷物とわずかなお金をもって社会に飛び出しました。
一人暮らしを始めてしばらくは、生活を整えるのに必死で、アルバイトと勉強に明け暮れる日々でした。
不安と孤独も大きかったけれど、それ以上に
・母の機嫌をうかがわないで済む
・家に帰るのが嫌じゃない
・何をしても自由
という解放感の方が大きく、けっこう生活を楽しんでいましたね。
ただ、時折ふと母からの呪いの言葉が脳裏をよぎるんです。
「私は母を裏切ったんだろうか。私は本当に幸せにはなれないんだろうか…」
と。
物理的には母から距離を取れても、受け続けた毒は私の体内に蓄積し、
内側からじわじわと侵食されている。
そんな感覚でした。
なんやかんや生活できている事実に気づく
そんなこんなであわただしく毎日が過ぎていきましたが、しばらく経って私は大きな事実に気が付きました。
「・・・私、一人で全く問題なく生活できてる!」
そうなんです。
実家で暮らしているときには気づかなかったこと。
母から無理だと言われ続けて気づけなかったこと。
私は、自分一人でも生きていける力が普通にあったんです。
「どうせできないでしょ!」と洗脳されて、
できるのにやろうともしなかっただけだったということに気づいたんです。
私はこれまで、何に遠慮し、何におびえていたのか。
母の言葉を真に受けて、母の望む「一人では何もできない娘」を無意識に演じていたのではないか。
そんな風に感じました。
そして、次第に母の別れの言葉に腹が立ってきたんです。
「普通に生活できてるし、家にいるときより格段に幸せだし!」
と。
呪いの言葉を、明日を生きる力に
家を出た当初は、母の呪いの言葉に落ち込んでいた私でしたが、次第に洗脳が解ける中で母に対する怒りが湧いてきました。
こんなに苦労して、つらい思いをたくさんする羽目になった怒りをどこに向けたらいいのか。
母に復讐をしてやろうかと考えたこともありました。
でも、よく振り返りをしてみたんです。
母が私に一番望んでいたことは何だろう?
母が私に望んだことと真逆の事をしてやろう。
それが母に対するある意味での最後の抵抗になるのではないかと。
おそらく、母は私に対し
・母に服従する存在
・母の怒りのはけ口
・母なしでは生きていけない存在
という姿を求めていたのだと感じました。
だから別れ際も、私の幸せを願う言葉ではなく、自分なしでは幸せにはなれないという呪いの言葉を口にしたのだと思います。
では私にできることは何か。
それは、自分の力で幸せになることだと思いました。
・私なんていなくなった方がいいんじゃないか
・反対にものすごくグレてやろうか
そんな風に考えたこともありましたが、
母が最も望まない「私が自分の力で幸せになること」を達成するためには、これらは選択肢として違うんじゃないかと感じました。
そこからは、
・看護師の資格を取るために勉強を頑張る
・友だちを大切にする
・自分のやってみたいことにどんどん挑戦する
という風に気持ちを切り替えて、がむしゃらに前だけを見て進み続けました。
結果、社会に出てからも色々山や谷はあれど、私はちゃんと生きています。
幸せに生きています。
あのときの母の呪いの言葉があったからこそ、
最もつらかった時期を腐ることなく乗り越えられたのだと思います。
その点では、母に感謝したいなと感じています。
まとめ
今回は、私が家を出た際に母から言われた言葉を胸に、
親を許せないという自分の怒りとどう向き合い、克服していったかという体験談を綴らせていただきました。
苦しみの渦中にいるときは、正論やきれいごとを言われてもなかなか腹に落ちていかないものですよね。
私も、ある意味「前向きな復讐」というあまり褒められた気持ちではなかったと思います。
ただ、自分なりの動機づけをして、怒りや悲しみといったエネルギーを自分にとって前へ進むエネルギーに変換するのはとても大切だと思います。
苦しみの渦中をある程度越してから、深く考え直すのもOKですよ。
負のエネルギーに飲み込まれないこと。
必要であればそこから逃げることも、とても大切です。
母との別れの日から長い年月が経過しました。
今では母の記憶にとらわれることはなく、「過去のこと」として克服できています。
時間の経過も、傷を癒すのには必要なことなんです。
あなたは今、どの段階にいらっしゃいますか?
始めから「許さなきゃ」「恨んじゃいけない」なんて高い目標を掲げなくても大丈夫です。
もし苦しい渦中にいたとしても、「自分が幸せになること」を最優先に考えてくださいね。
苦しみから抜け出す道は、今は見えていなくても必ず存在しています。