あなたは「死」とは何かについて、本気で考えたことありますか?
この世界で絶対に避けては通れないこと。
それは「生きているものはいつか必ず死ぬ」ということです。
現代の日本において、私たちの生活の中から死は見えにくいものになっています。
最近は在宅での看取りも増えてきましたが、死は病院で迎えるものという感覚はありませんか?
医療スタッフが死の前後の流れを取り仕切り、死後は葬儀屋さんが全てを手配してくれます。
火葬は火葬場でしてくれるし、街中にご遺体が置きっぱなしということもありません。
あなたはこれまでの人生で、何人の死に向き合ったことがありますか?
そして「いつかは自分にも死が訪れる」ということをどれだけ身近に感じていますか?
いつか必ず訪れる死と真剣に向き合うことで、今をどう生きるかが見えてきます。
今回は看護師として多くの患者さんの看取りを経験した私が考える「死生観」についてつづろうと思います。
死生観について結論:やはりよくわからない。
まず結論からお話しします。
たくさん考えたくさん学び、たくさんの死と向き合った結果、私がたどり着いた結論(現時点)は、
・死とは何か…やはりよくわからない。(自分が死んだことがないから)
・死のとらえ方は人それぞれ、また状況次第で大きく変わる
・死は生の過程の一部であり避けられないもの。いつ訪れるかわからない死を肯定的にとらえる方法は「今を必死で生きること」
というものでした。
一人一人死生観には違いがありますし、ライフステージの中で変化していきます。
上記はあくまで私個人が現時点で感じていることですので、ご了承ください。
では、この結論にどのように至ったのかを説明していきます。
「死」に興味をもったきっかけ
「死にたい」とかそういう不穏なお話ではありませんのでご安心を。
幼少期の過酷な家庭環境
私は幼少期を機能不全家族の中で育ちました。
(詳細はプロフィールページをご参照ください)
高校生になった頃。毎日の生きづらさの中で、
- この苦しさがいつまで続くのか
- そもそも私はなんのために生きているのか
ということを真剣に考えるようになりました。
死を知ることで生きる意味を知りたい
なんのために生きているのか。
これは本当に壮大で難しい問題です。
考えてもすぐに答えが出るものではありませんでした。
次に私が考えたこと。
それは「生」を理解したければ「死」を理解するのが近道ではないかということでした。
私たちの人生はいつまで?
あなたは仕事をするとき、
①まず期日を確認する。
例)3か月後のイベントに向けて企画と準備をする。
②そのために必要なことを逆算して考える
例)・来週までに企画書を作る
・今月中に1回目の打合せ
③期間中に起こりうることを想定する
例)・来月は別の仕事も忙しいから、今月中になるべく作業を進めておこう
・イベント1週間前までに準備し不測の事態に対応できるようにしよう。
こんな風に、期日や作業量から作業工程を割り出し、また他の予定との兼ね合いも考えてペース配分などを決めるのではないでしょうか。
さらに「今は繁忙期だから忙しいけれど、来月には落ち着く。だから頑張ろう!」など、取り組みへの緩急も調整できますよね。
しかし、これを「死」というゴールへ向けての人生の話に当てはめるとどうでしょうか?
①いつ死が訪れるか…はわからない!
例)・もし80歳としたらあと〇年後だけどもしかしたら明日かもしれない。
②死ぬまでに必要なことを逆算して考える
・…そもそも死がいつ来るかわからないから逆算できない。
・長いと人生100年。スパンが大きすぎて何したら良いの?
・想定したことが想定通りにいくことなんてまずない。
③生きてる間に起こりうることを想定する
・そもそも「生きている間」がいつまでかわからない
・スパンが長すぎて想定しきれない
これは本当に難しい問題です。
先ほどの逆算思考で人生を考えると…
人生の期限がわからない中で自分の生きる意味を見つけるのはとても大変だと感じました。
そもそも「死」ってなんだろう?
誰にでも訪れる死ですが、つい怖いもの、辛いものと感じていませんか?
そしてそんな潜在的な怖さを直視したくなくて、目を背けていませんか?
「まだ若い今の自分には関係ない」と目を背けることは簡単ですが、死を理解しない限り納得のいく生を歩むことはできない。
そして納得のいく人生が歩めなかった結果、迫りくる死に恐怖を感じる。
ならば私は死をしっかりと見つめ、死を知ることで生きる意味を知ろう。
こう感じたことが、私が看護師を目指すきっかけとなりました。
多くの経験・学び
看護師としての経験
看護師となった私は、病院勤務をする中でたくさんの患者さんの死と出会いました。
その様子は本当に人それぞれで、
・穏やかな死
・痛く苦しい死
・あっという間の死
・長い経過の死
・惜しまれる死
・望まれる死
同じ「死」でも人の数だけ死に様がありました。
そして多くの死と出会うことで気づいたことがあります。
それは、人の死に様には人の生き様が出るということです。
死に様と生き様について
患者さんの中には、入院して短い期間で亡くなる方もいらっしゃいます。
だから病棟で少し接した程度の私にはその方の人生はわからない。
でも死に旅立つ患者さんと向き合うと、その方の人生がなんとなくわかってきます。
大きく違うのが、家族・友人の訪問頻度や対応です。
周囲から愛されてきた方は、しょっちゅうご家族が面会に来たり、家族がいない方でも友人が訪れたりといった光景をよく目にします。
(コロナ禍で制限がかかってしまったりはあると思いますが…)
また、苦痛の中にいても穏やかだったり、看護師に対してていねいに接する方が多くみられます。
一方で、こんな最期は辛いな…と感じる方もいらっしゃいます。
・家族・友人が誰も面会に来ない
・家族に「早く死んでくれればいいのに」と言われる
・不平不満ばかりが聞かれる(心のよりどころがないと、死を穏やかに受け入れるのは難しいですよね…)
・ご遺体の引き取り手もない
肉体的な「死」はどちらも同様の死です。
ただ人生の終着点としての死をどう迎えるかは、その方がどう生きてきたかが大きく関わるんだなと強く感じました。
本からの学び
実際の看取りの経験だけでなく、私は死についての様々な本を読んだりドキュメントを見たりしてきました。
(看護学生時代の卒業論文に「安楽死とは」というテーマを選んだぐらいです。)
・死生観について
・がん患者の手記
・緩和ケアに従事する医師や看護師の経験談
といった医療における死に関連する本。
さらに、
・宗教について(宗教ごとの死のとらえ方など)
・死に関わる職業について(火葬場、葬儀、特殊清掃人など)
・戦争体験
といったものから、
・幽霊
・怪奇現象
というものまで幅広く探求しました。
☆完全に余談ですが☆
幽霊や怪奇現象というものも死に大きく関わるものとして興味があります。
死後の世界もどんなものなのかわからないですよね。
生きている間の後悔や念が死後の苦しみにつながるのだとしたら、そんな悔いが残らないよう生きていきたいなと考えています。
結局のところ、行きついた答え
こんな風に数多くの経験や学びをする中で、私が行きついた結論です。
やっぱり「死」ってよくわからん。
こんだけ努力して、結局わからんのか~い!!
って感じですよね。
でも今のところの結論は「わからん」の一言です。
だって人の数ほど死の形はあるし、宗教的にも死の行きつく先って違うし。
そもそも自分がまだ生きているので、死の本質を知ることは不可能なんですよね。
「わからない」という結論から導き出せること
でもね。
自分の中でこの「わからない」という結論にたどり着いたのは大きな意味がありました。
なんとなく「わからない」のと、色々経験した結果「わからないと悟った」、この違いはとても大きかったです。
ではわからないことに対して、今の自分ができることはなんだろうと考えたとき。
私はこんな結論に達しました。
それは、
今、この瞬間を精一杯生きる
ということ。
いつどのように訪れるかわからない死を恐れずに迎えるためには、
・今あることに感謝し、当たり前だと思わない
・今の状態がこれからも変わらず続くと思わない
・もし明日自分に死が訪れたとしても後悔しないよう、この瞬間を精一杯生きる
これが今の私が思う「納得のいく人生の過ごし方」です。
だからもし明日私の人生のリミットが来たとしても、
まぁ心残りはあるっちゃあるけど、この段階まででやりたいことはほとんどやったし、まぁいっかー!
みんな、あと頼んだぜ!
と言えるくらいの毎日を送ってやろうといつも思っています。
仕事とか生産性とかって話ではなく、自分が納得がいくことをぜひやりましょう。
いつか落ち着いたらとか、定年後とか、そんなこと言ってちゃ遅いですよ。
そもそも人生がいつまで続くかなんて誰にもわからないんですから。
まとめ
看護師の私が考える死生観。
これが正解かどうかはわかりません。
ただ、真剣に死と人生に向き合う中で、私はこんな結論に達しました。
みなさんも自分なりの死生観を見つけることで、より良い人生の過ごし方ができるかもしれませんよ。
まだ間に合います。
だって今、あなたはこうして生きているんですから。